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4Jan,2015 Dakar
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Dakar到着からは少しの観光と出発準備をして過ごした。










観光はDakarの沖数キロ地点に浮かぶ小島、ゴレ島へ行ってきた。植民地時代に奴隷貿易で使われた隔離島で、現在は世界遺産に指定されている。
I went to Gorre iland.











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Dakar港から1時間おきくらいにフェリーが出ている。外国人は大人5200フラン。





30分ほどでゴレ島に到着。










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船が着くと島の子供たちが泳いで船の近くまでやって来た。遊び半分の出迎えかな?なんて思っていたら、船の乗客がおもむろに持っていた小銭を海に投げ入れた。われ先にと泳いで群がる子供達、お金を投げ入れる観光客。。。
何がって訳でもないんだけど、これでいいのか??お金投げ入れる観光客とそれを拾う子供達両方に若干引いてしまった。









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ゴレ島は本当に小さくて、小一時間あればぐるりと島を見て回ることができた。









奴隷貿易当時の資料や施設が残されている博物館。奴隷の家。中は当時、奴隷を収容するための部屋や拘束具などを見ることができた。大航海時代から19世紀初頭までの間セネガルを北端とした西アフリカ諸国やインド洋側のモザンビークに至るまでのアフリカ諸国で1000万から1500万人の人たちが奴隷として南北アメリカ大陸やカリブ諸国などに輸出されていった。
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アフリカ諸国の族長は奴隷を輸出する代わりにヨーロッパから銃や酒、雑貨などを手に入れ銃器は部族間の争いに使われ敗れた部族たちは奴隷として輸出される。そして奴隷たちは新大陸のプランテーションで働かされ、収穫した砂糖や綿花をヨーロッパに輸出する。これが歴史の授業で習う三角貿易。



奴隷となった人達は汚い船室にすし詰め状態で閉じ込められ運ばれる。航海の間に亡くなった奴隷はそのまま海に投げ捨てられた。奴隷は物品として扱われ一人一人に税金がかけら、プランテーションオーナーの所有物となって強制労働を課せられた。



1800年代前半にはヨーロッパやアメリカ大陸で奴隷および輸入が禁止された。しかしアメリカ南部のプランテーションではその後も奴隷支配が続いた。オーナーは奴隷を輸入できなくなった代わりに奴隷女性に無理やり子供を産ませ同じように奴隷として働かせた。この奴隷制度は実質南北戦争終結後まで続いたそうです。






そんな奴隷貿易の歴史を少なからず垣間見ることができた。とは言っても、現在はもうすっかり観光地化されていて道端には民芸品や絵、衣類等が売られ、古くなった砲塔に地元の人が住み着いていたりと、とても穏やかな場所だった。
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日本の援助で建てられたらしい学校。




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帰り際土産物やのおばちゃんに布をすすめられて思わず買ってしまった。薄くて軽いし、これから暑い場所行ったときにいい掛布団変わりになりそうだ。かなりの商人でまくしたてるように英語を話す姿に若干圧倒させられたけど、それくらい熱心に商売してる方が好感が持てる。何もしなくても周りからめぐんでもらって生きるよりも自分で必死に働いて生きていく大切さを、海に潜ってお金を拾っていた子供たちにわかってほしいと思った。











そんな、ゴレ島観光を終えると次の日から出発の準備に取り掛かる。
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